BOOK HUNTING

ノンフィクション系の新刊、近刊を平日5冊、週30冊ペースで紹介。児童書から医学書まで。

Books of the Month(2月編)

今月途中から紹介する本を週35冊から30冊に減らした。「もうちょい紹介したい本があったなー」という結果になったものの、実際にはちょうどいい具合だった。中途半端なのを紹介しようとすると、テンション下がるので。

2ヶ月ほどノンフィクション全ジャンルのスクリーニングやってみて、体感的に思ったのは、「ロングセラーになりそうな良書じゃね?」と予感するのは、だいたい月に150から200冊の間くらいで、いくらか厳しくチェックして100冊らへん。「多いな!」と思う奴がいるかもしれないが、新刊は平均して毎日200冊以上出てるから、実はそんなでもない。「そもそもの新刊の出版量がおかしい」って話でもある。

さて、今月紹介した本の中から、実際に読んでみて良かったのを以下に並べる。今回は3冊。

『見えない私の生活術』新納季温子

簡潔でいいタイトル。この題名はみっつの意味に解釈できる。ひとつは文字通り、「(目の)見えない私の生活術」だ。ふたつめは、「(目の見えるあなかたらは)見えない私の生活術」だ。最後のひとつは「(目の見える人が多数を占める社会からは)見えない私の生活術」である。そして実際、そのような内容の本だ。

すなわち、目が見えない人の生活術(食事や移動や海外生活など)が書かれており、目が見える人からは具体的にイメージできない体験談が記されており、マイノリティに目を向けようとしない社会の無理解が記述されている。

ちなみに俺の周囲に目の見えない人はいないし、俺自身の視力にも問題はないが、ごくごくフッツーに刺激的な本だった。リアルなディティールの息遣いが、めちゃくちゃ面白い。痴漢はマジでクズだと思うし、サウサンプトンの住民いい奴だし、産婦人科医の発言は無神経すぎる。

目の見えない人の本に、ほとんどの人は目を向けることもないだろう。それはおそらく、「カタくてマジメでタイクツなフクシの本」みたいな印象を持ってしまうためだ(俺もそういう本はムリだわ)。その点、この本に心配いらない。おおむねポップでサラッと読める。

「特に自分の人生と関係ない」って見方もあるが、まあそうだな。俺も関係ない。性別も違う。しかし読書の楽しみの半分は、イマジネーションだと思うんだよな。俺はイマジネーション豊かなんで、この本すごく面白く読めたんだが……、うん、無理にはすすめないわ。万人向けとは言いにくいし、お勉強感覚や観察対象として読まれるのは、著者の本意でもないだろう。この世に生きる同じ人間として、おもしろ楽しく読める奴だけが読めばいいと思う。本の紹介ってムズいな!

見えない私の生活術

見えない私の生活術




『アメリカの奴隷制を生きる』フレデリック・ダグラス

のっけからインパクトある。自身の正確な年齢すら知らない──、それが奴隷として生まれることだ。本書は、そういった濃厚なエピソードが、筆を抑えてつづられる。だが、読めばわかる。ダグラスが激しい怒りを抱いていることを。そして、その根底には深い嘆きがあり、それを超人的な高潔さで克服しようと、必死でもがいている。行間を読めば、何気ない一文すら感動的だ。しばしば胸をえぐられる。

まるでフレデリックの精神を現すかのように、本書は極めて格調高い名文のパレードだ。訳のよさもあろうが、通底している文体そのものが美しいためだろう。しかし忘れてはならない。その美しさは、残忍な奴隷制に対抗しようとして生まれたものだ。

奴隷たちは心身を暴力的に支配される。法律さえ暴力的な存在だ。教育を受けられないどころか、文字を学ぶことも違法なのだから。だがフレデリックは、わずかな機会を見逃さず、苦労の末に独力で読み書きできるようになる。賢明にも彼はそこに光明を見出す。学んだことを仲間に伝え、その手応えから、進むべき道が何であるかを感じ取る。話の行く末は本書にゆずろう。

本当に信じられないほど勇敢で知的で美しい本だ。「現代とリンクする何かがあるか?」と問われれば、即答はできないが、魂を鷲掴みにされるような体験は、いついかなる時代に生きようと関係なく、実に得難いものだろう。

アメリカの奴隷制を生きる

アメリカの奴隷制を生きる




『自分を開く技術』伊藤壇

サッカー選手の本なので、サッカーにたとえて書いてみる。サッカーで重要な技術を極論すると、ボールの止め方と蹴り方になるだろうが、この本のテーマは主に前者にフォーカスされている。

ボールをうまく止めるには、その勢いを殺してやる必要がある。これに失敗すると、あらぬ方向にボールを弾いてしまい、せっかくのパスを活かせない。また、単にボールの勢いを殺すだけでは、必ずしも次のアクションでの成功が保証されるわけでもない。相手にカットされない場所、ないし相手からなるべく離れたところにボールを収めなければ、自分がやりたいプレーの自由度は大幅に制限される。

つまり、ボールをうまく止めるには、次に自分がどのようなプレーをしたいか、明確にイメージした上でパスを呼び込み、相手からのプレッシャーが弱いスペースに、ボールの勢いをきっちり殺してやる必要がある。もちろん具体的にそういったことが、この本に書かれているわけではない。あくまで例だ。しかし、俺はそうやって読んだ。

伊藤はオファーやトライアルといった「パス」を呼び込み、時に「トラップミス」で契約を逃してしまったり、状況を読み違えて「ミスキック」したりもするが、段々と「ボール」の止め方が上達していき、サッカー人生の「ゲームメイク」もまた格段にウマくなっていく。

フットボーラーとして18カ国を渡り歩いたエピソードなどは前半に集中し(すげーおもろい!)、後半はいくらか抽象的に生き方の可能性を説いていくが、実績という説得力とは別に、文体としての説得力が非常に厚く、それは読んでのお楽しみだ。海外で味わった膨大な葛藤を克服したことでしか得られないスタンスは、如実に本文のそこかしこに現れている。その部分を伊藤と同じ目線で味わおうとして読むと、滋養ある読書を堪能できるだろう。

自分を開く技術

自分を開く技術