BOOK HUNTING

ノンフィクション系の新刊、近刊を平日5冊、週30冊ペースで紹介。児童書から医学書まで。

『鮎川義介- 日産コンツェルンを作った男』堀雅昭

鮎川義介- 日産コンツェルンを作った男』堀雅昭

鮎川義介による「事業は創作であり、自分は一個の創作家である」という言葉は、その波乱の生涯を見ると、深く納得させられる。たしかに創作家でもなければ出来ないような、非常に旺盛な事業展開だ。

こういう人物の場合、もはや途中から事業は「金儲けのための手段」ではなくなっていて、あふれ出るアイディアを叩きつける、画家にとっての絵筆のようなものだと思う。そして、その結果として鮎川コレクション(日産コンツェルン)が後世に残された、といった具合だ。社風は画風と考えてみると、さらに分かりやすいと思う。そういった視点から書かれた、幾多の経営者の紹介書があってもよさそうだな(自分が読んでみたい)。

生涯を通じて、大衆を視座にすえて行動したことに光をあて、実業家・鮎川の実像に迫った労作。

井上馨の富国主義を受け継いで、戦前は満洲産業界を主導し、戦後は岸信介とともに高度経済成長を支えて中小企業の育成に努めた鮎川義介、その波乱の生涯。

鮎川義介《日産コンツェルンを作った男》

鮎川義介《日産コンツェルンを作った男》

『孤高のハンセン病医師 - 小笠原登「日記」を読む』藤野豊

『孤高のハンセン病医師 - 小笠原登「日記」を読む』藤野豊

世にトンデモ学説はいくつもあるが、その中でもっとも下劣で愚かしいものは、差別と偏見を助長するために存在するトンデモ学説だ。癩予防法が施行されていた時代における、ハンセン病患者の強制隔離、断種を推奨していた学説なんか、まさにそれで、実に正しくクソだった。

そのクソな学説に真っ向から立ち向かい、しかし当時の医学界権威によって葬り去られたのが、この本で紹介されている医師小笠原登だ。歴史は小笠原に軍配を上げることになるが、それでもトンデモ学説によって小笠原が屈服させられた過去は消えない。

なぜそんな迷信じみた学説が、サイエンスの名のもとに大手を振るったのか気になるところ。単に当時の医学界のレベルが低かったことも理由のひとつに挙げられようが、「恐怖の全容が見えなかったことで過剰防衛に走った」とするのが実態に近いかもしれない。そんな時代にあって小笠原が説き、実践したことは、やはり相当な勇気と信念あってのことだと感じさせられる。著者は藤野豊

ハンセン病患者をことごとく療養所に収容しようとした癩予防法のもとで、自らの医学的知見にしたがい、「絶対隔離の必要なし」と療養所外での自宅治療・通院治療を敢行した医師・小笠原登の「もうひとつのハンセン病治療」。

その思想と実践を、遺された日記・諸資料を駆使して検証、実体に迫る。

孤高のハンセン病医師――小笠原登「日記」を読む

孤高のハンセン病医師――小笠原登「日記」を読む

『なぜ? からはじまる歎異抄』武田定光

『なぜ? からはじまる歎異抄』武田定光

いいアプローチの『歎異抄』入門書だと思う。ちなみに『歎異抄』は、「なぜ?」から始まって、そのまま終わらないディープな本なので、「なるほど! わかった!」という風に解説する本があったら、それはインチキなニセモノだと覚えておくといい。

歎異抄』は、ずっと「なぜ?」を問い続けるためのツールとも言えるかもしれない。だいたい、書かれてることがムチャクチャだからな。しかし、その理不尽なまでのムチャクチャこそが『歎異抄』の醍醐味だろう。それに耐えられないメンタルの持ち主は近寄らない方がいい。著者は『親鸞抄』『新しい親鸞』『歎異抄の深淵』など、親鸞関係の著作の多い武田定光(因速寺住職)。東本願寺出版から。

「なぜ悪人こそが救われる?」「なぜ故人の供養のために念仏しない?」、これらの「なぜ」に一つ一つ立ち止まり、そこには古典を古典として終わらせない、現代を生きる私たちの道標となる真実があります。

なぜ? からはじまる歎異抄 (真宗新書)

なぜ? からはじまる歎異抄 (真宗新書)

『できる大人の「一筆添える」技術』むらかみかずこ

『できる大人の「一筆添える」技術』むらかみかずこ

これは分かる。ただ仕事を頼むんじゃなくて、ほんの一言そえるだけで、グッとコミュニケーションは円滑になる。モチベーションも変わってくる。文書でも事情は同じで、「これとこれ、明日までにお願いします」みたいな書類を机に置いとくだけだと、ビジネスライクすぎて双方ともにつまらないが、それとは別に付箋でもペタ付けて、「ホント忙しいところに申し訳ない!」的なことを書いておくと、何だか心が落ち着く。

職場の空気や相手との関係にもよるが、場合によってはシールやスタンプ、ちょっとした落書きなんかでもいいと思う。それが「できる大人」のやることか分からないが、そうやった方が楽しく仕事できていい。逆の立場になって考えれば、すぐに分かる話で。

「いや、そんなことされたら、かえってイラつきます」というケースもあろうかと思うが、それは相手との距離感がうまく詰められてない証拠だと思う。その状態で一筆添えようとするなら、いくらか注意が必要で、うまく間合いを測らないといけない。けれども根本には、コミュニケーションの不足があると考えられるので、まずはそこを手直しするといい。

字が下手でも何を書いたらいいのかわからなくても大丈夫。一筆上手は付き合い上手、誰でもできる「一筆添える」テクニックが満載。

できる大人の“一筆添える

できる大人の“一筆添える"技術 (中経の文庫)

『カストロとフランコ - 冷戦期外交の舞台裏』細田晴子

カストロフランコ - 冷戦期外交の舞台裏』細田晴子

昨日はオバマ大統領が、キューバの地を踏んだ歴史的な一日だった。キューバ危機から実に半世紀以上が経過して、ようやく両国の歩み寄りが本格化し、何ともめでたいことである。さて、キューバと言えば、旧ソ連への接近がしばしば語られるが、この本はフランコ時代(!)のスペインとの関係に注目したものだ。珍しい。というか、カストロフランコの繋がりは初耳だ。

フランコに抱くイメージと、カストロのそれは、だいぶ離れていて、一見するとリンクするものがない。しかし、一見して無関係そうなところに発見される関係性ほど、面白いものはない。著者の細田は、スペインの日本大使館に勤務した経歴を持ち、『戦後スペインと国際安全保障』、『カザルスと国際政治 - カタルーニャの大地から世界へ』などスペイン関連の書籍も出している。なるほど。それで細田は、カストロフランコが、ともにスペインはガリシア地方にルーツを持つことを手始めに、両者の接近を読み解こうとしたのか。ちなみに詳しい書評はこのブログ記事が参考になる。どうやらアタリのようだ。

社会主義革命を成し遂げたキューバの英雄カストロスペイン人民戦線を打倒し長く独裁体制を敷いたフランコ。一見したところ正反対の両者には密かな、そして強いつながりがあった。

強固な反米意識と愛国心、そしてスペイン・ガリシア地方にルーツを持つこの二人に注目してこそ、初めてキューバ革命以降のアメリカ・キューバ・スペイン間の複雑な外交関係が読み解けるのだ。

カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)

カストロとフランコ: 冷戦期外交の舞台裏 (ちくま新書)